育毛の応用編
こうして「老人病院」スキャンダルの告発を発端にして、日本の高齢者介護問題についてようやく、家庭内問題から社会問題へと認識の変化が、ゆっくりとではあるが起こりはじめる。
老親介護の負担を誰が負うべきか、という問題は明らかに家族問題でもある。
しかもそれを家族が担い得ないということが判明したとき、私たちはまさに外部サービスの援助によって、はじめて家族関係を維持できるという、新しい家族関係への転換を迫られたのである。
しかしこのような「老人病院」問題に対して、厚生省のとった対策には大きな欠落があった。
高齢者自身の選択や自立への支援という視点がなく、そして「老人病院」問題の背後には、介護負担という、新しい家族問題があるという視点も欠けていたのである。
老人保健法 一九八二年に「老人保健法」が制定される。
これは主には一九七三年以来の老人医療無料化が医療費高騰を招いたとして、老人医療費の伸びを抑え、同時にその費用負担の仕組を変えるために、利用者の自己負担を再度導入し、保険者開で財源を分担する(財源の余裕のある保険組合から、余裕のない保険組合へ財源を融通する)ようにしたものである。
本来保険というのは、その保険組合の加入者の必要に応じて費用を支払うというのが大原則である。
ところがこの制度改定によって、豊かな組合がほかの貧しい組合の加入者の費用まで支払うことになるという、いわば健康保険制度が国全体としての巨大な集金機構に変質するという、重要な制度改定であった。
この「老人保健法」において、「老人病院」に関連してふたつの制度が創設された。
ひとつはそれまでのような通称ではなく、正式な制度上の名称として「特例許可老人病院」というものを設けた。
そこでは診療報酬として、従来のように診療したら、した分だけ報酬を払うという出来高払い方式ではなく、一ヵ月間の点滴や検査などを一定枠内に制限して、月額の診療報酬を定額制にした。
その代わり、病棟あたりの介護職員の数を増やすことを認めたものである。
しかも本来はこのような重大な制度改定については、「医療法」という日本の医療制度の根幹をなす制度を改定すべきであったのだが、厚生省は要するに手間を省いて「省令」によって医療法の規定を緩和するという、いわば「裏わざ」的手法でこれをやった。
医療費高騰への対策が緊急課題であったからである。
当時の厚生省としては、それまでの通称「老人病院」とは、治療の必要もない老人患者をタラタラと長期入院させ、そのうえ「点滴漬け」、「検査漬け」に代表される過剰診療をしたいほうだいして、老人を食いものにしている悪評高い医療施設という認識であったようだ。
そこでこのような過剰診療を「是正」する、厚生省にいわせれば、介護レベルを高めた老人専用の病院を作り、同時に出来高払い方式の欠点を是正することを意図した施策であった。
「老人保健法」の制定およびその後の改正改定について、くわしく述べるのは本書の任ではないので、ここでは老人病院関連の問題のみにとどめておきたい。
新しい老人病院の内容は、介護力については「特別養護老人ホーム」と大差なく、医療能力においては当然、一般病院よりも格段に低く、そして多数の高齢者がゆきどころなく現に入院しているにもかかわらず、劣悪な病院はつぶれればよいというものだった。
さらに当時の厚生省の「寝たきり老人」問題に対する認識を端的に表わすものとして、制度改定のなかには、長期入院の老人については病院より市町村長に通知義務を課す、というものもあった。
市町村長に家族を説得させて退院をうながさせるとしか解釈できない、なんとも時代錯誤的な発想である。
これでは悪徳老人病院の取締りだけではなく、「寝たきり老人」の取締りといわれてもしかたがなかった。
全体としてうかがわれるのは、生産性優先の思想のなかで、病弱老人を一種の“廃棄物”とみなす考え方である。
廃棄物処理に要するコストの削減という発想から抜け出してはいなかったようだ。
いったい日本の「老人病院」の入院患者の何パーセントが、必要もないのに入院しているのか。
なぜこのような惨僚たる入院生活を余儀なくさせられているのか、その家族たちの状況はどうなのか、どのような条件が整えば長期入院せずにすむのか、このような問題についての公式調査はそれまで一度もなかったのである。
たとえば一九七八年版『厚生白書』は、「健康な老後を考える-特集厚生省創立四〇周年記念号」とあるが、このなかに「老人病院」や「寝たきり老人」についての記述は一行もない。
ろくな改善指導もおこなわれないままに、にわかに“魔女狩り”のように「老人病院」を追いたてている、という印象は否めなかった。
しかしながら、これらの制度改定を通じて、高齢者の医療あるいは社会保障の分野に「介護」という重大な問題があるということに、厚生省はようやく気づきはじめる。
このときに制度化された老人病院は(のちの介護力強化型病院もそうだが)、病院という本来は「治療」施設であるのに、治療の補助的機能であった「介護」を強化した病院という矛盾に満ちた施設であり、一種の「鬼っ子」的存在であった。
しかしこれこそが、その後の「老人保健施設」創設(一九八六年の老人保健法改正)に発展し、さらに遅まきながら一九八九年の「高齢者保健福祉推進一〇ヵ年戦略」(いわゆるゴールドプラン)へ、そして理念的にも北欧に学んだ、たんなる受け身的な世話ではなく、「介護」を「自立支援」の世界と位置づけた、公的介護保険構想へと発展する萌芽を内包していたといえよう。
老人患者の長期入院こそが医療費高騰の元凶であり、それゆえに老人医療無料化制度の破綻をきたしたという、当時の行政の認識は、明らかに近視眼的なものであった。
だが、歴史としてふり返ってみれば、老人病院問題が問いかけたものは、急増しつつあった高齢障害者が抱えるあらゆる問題が老人病院にしわよせされたものであり、その解決のためには医療と福祉を総合的に連係させた政策展開が必要不可欠だ、ということを気づかせる契機となったとはいえよう。
気づくにはあまりにも長い時間がかかり、あまりにも多くの犠牲者がでてしまったが。
さて「寝たきり老人大国」となった日本の高齢者介護問題と医療政策の関連をみてきたが、つぎに福祉政策との関連をみてみよう。
高齢者福祉制度の話は、医療と比べると簡単である。
理由も簡単で、年金は別として介護に関しては、地方はもちろんのこと、中央政府も長い間ほとんど何もしてこなかったからである。
行政的にいうならば、今から三十数年前の一九六三年まで、日本の社会には、高齢者福祉サービスというものはいっさいなかった。
唯一あったのは貧困者一般の救済策である「生活保護」で、収入のない高齢者に最低限の生活資金を提供することだけだった。
年をとって働けなくなったり、夫以外に扶養者がいない妻が夫と死別すると、収入が得られなくなる。
この当時、年金をもらえるのはごく限られた老人だけだったから、老人の貧困化か最大の課題だった。
だから行政が用意した制度としては、貧困化した老人が雨露をしのぐことができ、食事と寝床を提供できる施設として「養老院」だけがあった。
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